happy end・その日



名前くらいは知っていた。結構同僚達の会話に名前が出る子だったから。
でも、会社の外で声を掛けられたときに咄嗟に名前がでてこなかった。
僕にとっては所詮そんな存在。

もしかして、声を掛けられた場所が悪かったのかもしれないが。

可愛いだけの癒し系。そんな雰囲気の彼女が案外鋭かった。それには結構驚いた。と同時に興味が湧いた。

興味が湧いたら、どういう人物か確認してみたい。不思議な条件で食事に付き合うことをOKした彼女。人の本質を見抜いている割には、簡単な誘導で今後の僕との付き合いを自ら提案してしまう。

そして、それを疑わない。
鋭いんだか、鈍いんだか。

これだけ頻繁に食事へ行ったり、遊びに行っているのに僕の魂胆に気付かないし。

10月の結婚式。今は2月も半ば。寒々しい空を背景に君はとびきりの笑顔を僕にくれる。
「これ、どうぞ。」
「何?」
「ちょこれいと。杉山さんを結構癒してくれると思います。」
「いつもありがとう。」
これがいつもの甘いものをくれる彼女の延長なのか、別の意味なのか。2月14日に『これ、どうぞ。』だけでチョコレートを渡されるのは何とも言い難い。
聞いたら楽になるのか、それとも…


金曜の朝、意を決してメールを送った。
―夜でも大丈夫なカロリーの低いアイスを買った。今日食べてみない?―
さて、罠にかかるかすり抜けるか?

―何だろ?楽しみにしてます。じゃあ、いつもの場所で待ち合わせしましょう。たぶんわたしの方が先に終わると思うんで待ってます。―

金曜の夜に時間を空けていてくれたこと、そして待ち合わせ場所がいつもの所。…僕達の距離は実際の気持ちよりは近い。



デパチカなる場所で何やらいろいろ買いこみ、一週間のことを話しながら電車にのる。誘い方も同性の友達風だったんだから、その続きがこうなってしまうのは仕方ない。彼女は僕が男で、その家に初めてあがると分かっているんだろうか。

その疑問はそう時間を必要としないで判明した。
答えは『男として意識していない。』
だから、この近い距離でもやっていけるんだろう。

「杉山さん、それでそのアイスってどんなですか?」
買ってきたものをテレビを観ながら食べ終わると、彼女が期待の眼差しで僕を見た。

彼女の言葉を借りるなら、甘いものには癒しやリラックスの効果があるそうだ。ホントかどうかは知らないけれど。でも、今日はそれを存分に使わせてもらおう。

僕は冷凍庫からこのときの為に購入したアイスを手渡す。
「あ、なんかパッケージからはおいしそうな感じがしますね。それに、ちゃんと卵黄使ってるし。でもカロリー低いって優れものですね。」
一通りの評論を終え、彼女はアイスを口に含んだ。

「うん。おいしい!」
アイスよりももっと甘そうな君を食べてみたい、それが僕の本当の気持ちとも知らずに彼女は頬張る。

「松本さん、僕ら随分色々と話をしてきたけど、」
そこまで言うと、彼女は不意に悲しそうな顔をして、僕の言葉を遮った。

「もしかして、杉山さん、今日は最後の晩餐だったんですか?もう、わたしと素のままでのお話の会は必要なくなったんですか?」
あまりに表情が急転したのと、その勝手に命名された『お話の会』に僕に負の感情が湧いてきた。

「うん。もう必要ない。」
その言葉に彼女が俯く。

「そんな悲しいことを言う必要があるから、こんなにおいしいアイスを用意してくれたんですね。」
「松本さんはどうしてそんなに悲しいの?」
「え、あの、だって、」
沈んでいた彼女が、今度は慌てふためいている。

「だって?」
「だって、せっかく杉山さんとこんな風に仲良くなれて、色々話せるいいお友達になれたと思ったのに。」
「僕はそんなつもりはさらさらなかったんだけど。」
さすがに僕の前で項垂れて縮まりそうな彼女がかわいそうになってきた。

「僕は松本さんに興味があって、知りたいと思って今まで一緒にいた。そして今は松本さんが甘いかどうか確かめたい。」
僕の言葉に顔を上げた彼女の顔を固定して、唇を頂くと微かにストロベリーアイスの味が。そしてその顔は苺さながら赤い。

「杉山さん、あの、」
「あの?」
「わたし、松本美紗って言います。」
「うん、知ってるけど。で?」
「だから、言い辛いんですけど、代わりはイヤなんです。その、誰かの代わりは、」
「松本美紗は、松本美紗だよ。僕の本質に気付いてくれて、甘いお菓子で癒してくれる。でもお菓子よりも、君自身が僕にはとても効果的だったんだけどね。」
「本気で言ってますか。」
「勿論本気。今の松本さんなら分かるでしょ、僕の表情が本気かどうかなんて。それに、今日は帰したくないんだけど。」
「それって、」
「うん。」
「…わたし、その、経験があんまりなくて、つまらないかも、」
「何の経験?」
「…?!」
その質問で彼女の顔は更に赤くなった。

「僕は君を夏樹の代わりとして見たことは一度もないよ。いつも松本美紗がどういう人間なのか見たり感じたりしていた。そして最初に感じた好意よりも、日に日に君への思いが強くなっていったんだけど、なかなか伝えられなくてね。君は僕を良いお友達だと思っているようだから。でも、もうそれに耐えられそうにない。経験なんかいらないし、面白さも求めてないよ。好きな人とただ一緒にいたい。」
「好きな人?」
「そ、僕が好きな松本美紗と。」

自分でも驚いた。案外スラスラと彼女へ気持ちを告白できて。
けれど何かが拙かったらしい。彼女の大きな目から大粒の涙が落ち始めた。
ついでに透明な鼻水が鼻から見え隠れまで始めている。

街中で女の子がそんな姿で泣いていたら、『あ〜あ、可哀想に』なんて思う程度だろうけど、彼女の場合は違う。今の姿すら可愛く見えるし、そんな一面を見れた自分は得をしたなんて思える。

ティッシュを渡すと、ビービーと勢い良く鼻をかむ彼女。鼻まで赤くなっている。
「泣き止めそう?」
「ダメみたいです。」
「じゃあ今日はうちに泊まって好きなだけ泣けばいいよ。この寒空の下、泣いていたら勝手にすごく可哀想な人だと思われるからさ。」

…返事はない。やっぱうちに泊まるってところに引っ掛かっているんだろうか。泣いていてもそこら辺は冷静なんだ。

「あの、わたし、杉山さんのこと、一緒にいればいるほど好きになっちゃってて、どうしたらいいか悩んでいて。傍にいたいから、良いお友達としてみてもらえるように努力してました!」
語尾は力強く、彼女が僕の目を見ながらどうやら本心を教えてくれた。

「じゃあ、もっと傍に来て。」
抱きしめた彼女は今まで想像していたより柔らかかった。

「ところで今日は泊まっていってくれる?」
「えっと、宜しくお願いします。」
「何を?」
「え!?…」
「ひとまずお風呂入ろうか。温まろう。」
「え、それってどういう意味ですか?」
「どういう意味に聞こえた?松本さんが捉えた意味の通りにするよ。全て。お風呂は二人で入りたいんでしょ?ベッドも二人で入ってあんなことをしたいんでしょ。」
「…杉山さん、そんなことわたし、」
「言ってなくても、さっきの話の流れから簡単に分かるからさ。」

結局彼女は素直だった。
恥ずかしいらしくなかなか出れなかったバスタブの中でちょっと逆上せた肌の色も、その時をむかえたときの肌の色も。

僕はと言えば、彼女の甘さをしっかり堪能できた。


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